第4話 免疫とは何か【4/10】
「私たちの身体は、24時間365日戦っている」
「免疫って、風邪をひかないためのものですよね。」
佐伯誠一は、高橋から紹介された先生の前で率直に尋ねた。
すると先生は、ゆっくりとうなずいた。
「間違いではありません。しかし、それだけではありません。」
庭では小鳥がさえずり、障子越しの柔らかな光が部屋を包んでいる。
先生は湯飲みを置き、一枚の白紙を取り出した。
円を一つ描き、その周りに無数の小さな点を書き込んだ。
「この円が佐伯さんの身体です。」
「この点は?」
「細菌、ウイルス、カビ、そして身体に害を及ぼす可能性のある異物です。」
佐伯は思わず身を乗り出した。
「こんなにたくさんいるんですか。」
先生は微笑んだ。
「実際には、この何万倍、何億倍もの微生物に囲まれて私たちは生活しています。」
佐伯は思わず周囲を見回した。
普段と何も変わらない部屋。
しかし、その空気中にも目には見えない微生物が存在しているという。
「では、なぜ毎日病気にならないのでしょう。」
先生は静かに言った。
「それが『免疫』です。」
先生はさらに二本の線を書いた。
一本は城壁。
もう一本は城の中を巡回する兵士。
「身体は城によく似ています。」
「城壁とは?」
「皮膚や粘膜です。」
「兵士は?」
「免疫細胞です。」
「城壁が敵の侵入を防ぎ、突破された敵を兵士が見つけて排除する。」
「つまり、私たちの身体は休むことなく警備を続けているのです。」
「眠っている間もですか。」
「もちろんです。」
「食事中も。」
「仕事中も。」
「24時間365日、一度も休まず働いています。」
佐伯は静かに息をのんだ。
会社にも警備会社を入れている。
夜間も監視カメラが動き続けている。
だが、自分の身体の中では、それ以上に精密な警備体制が何十年も続いていたのだ。
「では、免疫力とは何でしょう。」
先生は問いかけた。
佐伯は少し考えた。
「兵士の強さ……でしょうか。」
「その通りです。」
先生はうなずく。
「しかし兵士も疲れます。」
「え?」
「寝不足。」
「慢性的なストレス。」
「偏った食生活。」
「運動不足。」
「加齢。」
「こうした要因が重なると、兵士は本来の力を発揮しにくくなります。」
佐伯は思い当たる節ばかりだった。
睡眠は六時間。
食事は不規則。
朝食はコーヒーだけの日もある。
休日は疲れて動けない。
「まるで今の私ですね。」
先生は優しく笑った。
「佐伯さんだけではありません。現代社会では多くの人が同じ状態です。」
その時、高橋が口を開いた。
「誠一、お前の会社を想像してみろ。」
「会社?」
「社員が全員寝不足だったらどうなる。」
「生産性は落ちる。」
「判断ミスも増える。」
「事故も起きやすくなる。」
「そうだろう。」
「身体も同じなんだ。」
佐伯は思わず笑った。
「なるほど。」
「社員を責める前に、働きやすい環境を整える。」
「それが経営者の仕事だ。」
「免疫も同じ。」
「免疫細胞だけを頑張らせても限界がある。」
「働きやすい身体の環境を整えることが大切なんだ。」
この言葉は、佐伯の胸に深く響いた。
先生は一冊の医学雑誌を机に置いた。
「近年の研究では、十分な睡眠、適度な運動、バランスの良い食事、ストレスの軽減など、日々の生活習慣が免疫機能と深く関係していることが数多く報告されています。」
佐伯はページをめくった。
難しい専門用語も並んでいたが、一つだけ強く印象に残る言葉があった。
『免疫は一日で強くなるものではない。毎日の積み重ねで保たれる。』
「毎日の積み重ね……。」
どこかで聞いた言葉だった。
先生から渡されたノートの表紙にも、同じ意味のことが書かれていた。
健康は、一日の積み重ねでできている。
その言葉の意味が、少しずつ理解できてきた。
帰宅後、佐伯は書斎で静かに考え込んだ。
会社では社員が最高の力を発揮できるよう、職場環境や教育に投資してきた。
設備も定期的に更新し、故障する前に点検する。
「故障してからでは遅い。」
それは経営者として当然の考え方だった。
では、自分の身体はどうだっただろう。
疲れを根性で乗り切り、睡眠を削り、食事も後回し。
身体という会社の経営者である自分が、一番大切な職場環境をおろそかにしていたのではないか。
その夜、佐伯は珍しく午後十一時前にパソコンの電源を切った。
そしてスマートフォンを手に取る代わりに、窓を開けた。
夜風が静かに部屋へ流れ込む。
「今日くらいは、身体の兵士たちを少し休ませてやるか。」
思わず笑みがこぼれた。
小さな変化だった。
しかし、それはこれまでの佐伯にはなかった行動だった。
健康とは、病気にならないことだけではない。
毎日、自分の身体が本来持つ力を十分に発揮できる環境を整えること。
そのために昔の人々は、自然の恵みを生活に取り入れ、身体をいたわる知恵を受け継いできた。
「自然の力とは、いったい何なのだろう。」
その疑問が、新たな興味へと変わり始めていた。
──第5話「自然の力という考え方」へ続く。

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