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短編小説

第3話 医師が教えてくれなかったこと【3/10】

「治療」と「健康を育てること」は、同じではなかった

「土曜日の午後一時です。」

秘書から予定表を受け取り、佐伯誠一は静かにうなずいた。

大学時代の親友・高橋から紹介された人物に会う約束の日だった。

「自然の健康法を研究している人」

そう聞いた時は半信半疑だった。

経営者として、これまで数多くの投資話を聞いてきた。

「奇跡」

「万能」

「誰でも元気になる」

そんな言葉ほど信用できないものはない。

今回も話だけ聞いて帰るつもりだった。


待ち合わせ場所は、街外れにある築五十年以上の古い日本家屋。

豪華な看板もない。

派手な広告もない。

玄関先には季節の草花が静かに揺れていた。

高橋が笑顔で迎える。

「来てくれてありがとう。」

「思っていたより質素な場所だな。」

「だから紹介したかった。」

玄関から現れたのは七十代くらいの男性だった。

白髪交じりだが背筋はまっすぐ。

歩き方も軽やかだった。

「ようこそ。」

その第一印象だけで、佐伯は少し驚いた。

年齢を感じさせない穏やかな雰囲気があった。


和室に案内され、お茶が運ばれてきた。

男性は穏やかに話し始める。

「高橋さんから、お仕事がお忙しいと聞いております。」

「ええ。」

「健康診断では異常なし。」

佐伯は思わず笑った。

「そこまで聞いているんですね。」

「最近、そのような相談が一番多いのです。」


男性は突然質問した。

「佐伯さんは、お車を大切にされていますか?」

「もちろんです。」

「なぜでしょう。」

「故障すれば仕事になりませんから。」

「定期点検は?」

「欠かしません。」

「オイル交換は?」

「もちろん。」

男性は微笑んだ。

「では、ご自身の身体はいかがですか。」

佐伯は言葉を失った。


「身体は一生乗り換えのできない乗り物です。」

その言葉が静かに響く。

「会社の車は数年で買い替えられます。しかし身体はそうはいきません。」

佐伯は何も答えられなかった。


男性は一冊の古びた本を取り出した。

「昔の人は病気になってから慌てることを、あまり良しとしませんでした。」

ページを開く。

そこには古い漢文が書かれていた。

「『上医は未病を治す』という言葉をご存じでしょうか。」

「聞いたことはあります。」

「意味までは知りません。」

「病気になってから治療するのではなく、病気になる前の状態を整えることこそ、最も優れた医療であるという考え方です。」

佐伯は腕を組んだ。

「現代医学とは少し違う考えですね。」

「違うのではありません。」

男性は静かに首を横に振る。

「役割が違うのです。」


「医療は病気を治すためにあります。」

「はい。」

「しかし、健康を育てることは、毎日の暮らしが担っています。」

「……。」

「睡眠。」

「食事。」

「運動。」

「心の持ち方。」

「自然との関わり。」

「それらの積み重ねが身体を作っています。」


佐伯は少し反論した。

「しかし私は毎年健康診断を受けています。」

「素晴らしいことです。」

「異常なしと言われています。」

「それも良いことです。」

「では、なぜ疲れているのでしょう。」

男性は湯飲みを置いた。

「健康診断は、病気を探すための検査です。」

「病気ではない。」

「だから安心。」

「ここまでは正しい。」

少し間を置いて続けた。

「しかし、最高の状態で働ける身体かどうかまでは教えてくれません。」

佐伯は第2話で病院の医師から聞いた言葉を思い出した。

「健康でも病気でもない状態。」

あの説明と重なった。


男性は庭を指差した。

そこには一本の松が立っている。

「この松をご覧ください。」

青々と葉を茂らせている。

「毎日少しずつ水を与えています。」

「はい。」

「もし一年間水をやめても、すぐには枯れません。」

「そうでしょうね。」

「だからといって元気とは言えません。」

「なるほど。」

「人間も同じです。」

「疲れ。」

「睡眠不足。」

「ストレス。」

「栄養の偏り。」

「運動不足。」

それらは一日では身体を壊さない。

しかし十年。

二十年。

少しずつ積み重なり、本来の力を失わせていく。


「経営も同じではありませんか。」

男性は静かに尋ねた。

「売上だけ追っていても会社は長続きしません。」

佐伯は思わず笑った。

「確かに。」

「人材育成。」

「設備更新。」

「品質管理。」

「信用。」

「見えない投資が会社を支えています。」

「健康もまったく同じです。」

その瞬間だった。

佐伯の中で何かがつながった。

「健康とは、結果ではなく投資なのか……。」

男性は微笑んだ。

「ようやくそこまで来られました。」


帰る頃には夕暮れになっていた。

玄関先で男性が一冊の小さなノートを渡した。

表紙には、たった一行だけ書かれている。

『健康は、一日の積み重ねでできている。』

「難しいことはありません。」

「今日から毎日、自分の身体を少しだけ意識してください。」

「それだけで十分です。」

「薬は必要ないのですか。」

佐伯は思わず尋ねた。

男性は笑った。

「薬は必要な時に使うものです。」

「しかし毎日の健康は、薬だけでは育ちません。」

「土を豊かにしなければ、どんな良い種も育たないのと同じです。」


帰り道。

車窓から流れる夕日を見つめながら、佐伯は静かに考えていた。

これまで会社には惜しみなく投資してきた。

社員教育にも時間をかけた。

設備にも最新技術を導入した。

だが、自分の身体だけは酷使し続けてきた。

「壊れたら治せばいい。」

どこかでそう思っていた。

しかし、本当に大切なのは違うのかもしれない。

壊れにくい身体を育てること。

それは仕事を続けるためだけではない。

人生を楽しみ続けるための土台なのだ。

車が自宅へ近づいた頃、佐伯は高橋へ短いメッセージを送った。

『ありがとう。今日は、経営より大切なことを学んだ気がする。』

返信はすぐに届いた。

『次は、その土台を支える「免疫」について話そう。そこから本当の健康の意味が見えてくる。』

佐伯はスマートフォンを静かに閉じた。

これまで「免疫」という言葉は、風邪や感染症を防ぐための仕組み程度にしか考えていなかった。

しかし、それは健康を支えるもっと大きな鍵なのかもしれない。

そんな予感が、心の中に芽生え始めていた。

──第4話「免疫とは何か」へ続く。


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