BLOG & INFO

小説

連載小説【健やかに生きるということ】(14/50)

第14話 眠れない夜に気づいたこと

佐伯誠は、午前二時十三分という数字を、枕元の時計で確認した。

目が覚めたのは、ほんの少し前だった。

最初は、何か夢を見ていたような気がする。けれど、目を開けた途端、頭の中には翌日の会議のことが浮かんでいた。

「あの資料で、本当に大丈夫だろうか」

明日の午前中には、部門の重要な会議がある。部下がまとめた資料には、まだ確認しておきたい箇所があった。

誠は布団の中で寝返りを打った。

もう一度眠ろうと目を閉じる。

しかし、今度は別のことが気になり始めた。

来年の人事はどうなるのか。定年後の生活費は足りるのか。これから先、今の仕事を続けていけるのだろうか。

考え始めると、次から次へと思いが浮かんでくる。

時計を見る。

午前二時四十七分。

「眠らなければ、明日がつらくなる」

そう思うほど、眠れなくなる。

誠は小さく息を吐いた。

隣では、美紀が静かな寝息を立てている。

起こさないように、そっと布団を抜け出した。

台所で水を一杯飲み、椅子に腰を下ろす。窓の外は暗く、遠くの道路を走る車の音だけが聞こえていた。

いつからだろう。

夜中に目が覚めることが増えたのは。

若い頃は、布団に入ればすぐに眠れた。多少遅くまで仕事をしても、翌朝には何とか起きられた。

それが今では、眠りが浅くなったように感じる日がある。

「年齢のせいなのかな……」

誠は、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。

眠ることにも、準備が必要だった

翌朝、誠は少し重たい身体を引きずるようにして起きた。

朝食の席で、美紀が顔をのぞき込む。

「昨日、あまり眠れなかった?」

「夜中に目が覚めてね。そのあと、仕事のことを考えていたら眠れなくなった」

「最近、ときどきあるわね」

「やっぱり年齢かな」

美紀は味噌汁をよそいながら答えた。

「年齢とともに眠り方が変わることはあるみたい。でも、全部を年齢のせいにしなくてもいいんじゃない?」

「そうだな」

「寝る直前までスマートフォンを見ていることもあるでしょう。仕事のメールを確認したり、ニュースを読んだり」

誠は苦笑した。

確かに、布団に入ってからもスマートフォンを手放せない日がある。

仕事の連絡が気になり、ニュースを見ているうちに、いつの間にか時間が過ぎている。

「寝る前くらい、仕事から離れたら?」

美紀の言葉に、誠は箸を止めた。

仕事を終えて帰宅しても、頭の中では仕事が続いている。身体は家にいても、気持ちは職場に残ったままなのかもしれない。

その日の昼休み、誠は同僚の田中に昨夜のことを話した。

「田中さんは、よく眠れている?」

「昔ほどではないな。夜中に目が覚めることもあるよ」

「やっぱり年齢かな」

「それもあるかもしれないけど、生活習慣も関係するんじゃないか。俺は最近、寝る前に仕事のメールを見ないようにしている」

「それだけで違うのか?」

「少なくとも、仕事のことを考え続ける時間は減ったな」

田中はコーヒーを飲みながら続けた。

「睡眠って、ただ長く寝ればいいというものでもないらしい。寝る時間、起きる時間、寝る前の過ごし方。そういう生活のリズムも大切なんだってさ」

「確かに、俺は寝る時間も起きる時間も日によってばらばらだ」

「毎日完璧にする必要はないだろうけど、できるところから整えてみたらどうだ」

誠は、その言葉を心に留めた。

眠りを妨げていたもの

その日の帰宅後、誠は美紀に相談した。

「しばらく、寝る前の過ごし方を変えてみようと思う」

「いいんじゃない。何から始めるの?」

「まず、寝る直前までスマートフォンを見るのをやめる。それから、寝る時間と起きる時間をなるべく一定にする」

「いいと思うわ。私も一緒にやってみようかしら」

二人は、夜の過ごし方について話し合った。

夕食後は、できるだけ仕事の話を持ち込まない。寝る直前までテレビやスマートフォンを見続けない。部屋の明かりを少し落とし、静かな時間をつくる。

そして、眠る前に翌日の予定を簡単に整理しておくことにした。

誠は、仕事の心配事を頭の中だけで抱え込んでいたことに気づいた。

紙に書き出してみると、明日やるべきことと、今すぐには答えの出ないことが分かれていく。

「明日できることは、明日考えればいい」

そう思うだけでも、気持ちが少し軽くなった。

もちろん、一晩で眠りが変わったわけではない。

夜中に目が覚める日もあった。

そんなとき、以前のように時計を何度も確認したり、無理に眠ろうとしたりすることは、少しずつ減っていった。

眠ることは、何もしない時間ではない

数日後の夕食後、誠は村上俊介に電話をした。

以前から健康について相談していた、東洋医学にも詳しい知人である。

「村上さん、最近、睡眠について考えているんです。夜中に目が覚めることがあって」

「そうですか。仕事のことが気になって眠れない、ということもありますか?」

「まさに、それです」

村上は、落ち着いた声で話し始めた。

「東洋医学には『養生』という考え方があります。身体の調子を大切にしながら、日々の暮らしを整えていくという考え方です。食事や運動だけでなく、休むことも養生の一つなんですよ」

「休むことも、ですか」

「ええ。人間は活動する時間だけで成り立っているわけではありません。働くことと休むこと、その両方があって日々の生活が成り立つ。眠りも、その大切な時間の一つです」

誠は、静かに聞いていた。

「ただし、東洋医学の考え方だけで睡眠の問題を判断するのは適切ではありません。眠れない状態が長く続いたり、日中の生活に支障が出たりする場合は、医療機関に相談することも大切です」

「そうですね。健康食品などに頼る前に、まず自分の生活を見直すことですね」

「その通りです。何かを取り入れることを考える前に、今の暮らしに無理がないかを見てみる。そこから始めるのがよいと思います」

電話を切ったあと、誠はしばらく考え込んだ。

健康のために何かを買うことは、比較的簡単だ。

しかし、毎日の生活を見直すことは、思っている以上に難しい。

仕事を早く切り上げる。夜の時間を大切にする。心配事を翌日に持ち越さない工夫をする。

どれもお金はかからないが、自分の意識を変えなければ続かないことばかりだった。

夜の静けさを取り戻す

その夜、誠はいつもより少し早く仕事を切り上げた。

夕食後、美紀と一緒に食器を片づけ、翌日の予定を手帳に書き込む。

スマートフォンは寝室に持ち込まないことにした。

「なんだか、昔に戻ったみたいね」

美紀が笑った。

「昔は、こんなに仕事のことばかり考えていなかった気がする」

「そうね。いつからか、家にいても仕事の話ばかりになったわね」

誠は、少し申し訳なさそうに笑った。

「これからは、夜くらいは二人の時間にしよう」

「そのほうがいいわ」

寝室に入る前、誠は窓の外を眺めた。

夜の空気は冷たく、遠くの山の稜線が月明かりにうっすらと浮かんでいる。

その景色を見ながら、ふと思った。

これまで自分は、休むことを「仕事をしていない時間」だと思っていたのかもしれない。

しかし、休むことは何もしないことではない。

明日を迎えるために、自分の身体と心をいたわる時間なのだ。

布団に入ると、誠は深く息を吐いた。

今夜も必ず眠れるとは限らない。

それでも、眠れない自分を責める必要はない。少しずつ生活を整えていけばいい。

健康とは、何かを足し続けることだけではない。

ときには、余計なものを手放し、自分を休ませることも必要なのだ。

誠は目を閉じた。

明日の朝、また美紀と歩こう。

そして、季節の変化を感じながら、今の自分にできることを続けていこう。

そんなことを考えながら、静かな夜の時間に身を委ねた。


今回の気づき

睡眠は、健康的な暮らしを支える大切な要素です。

  • 起床・就寝の時刻をできるだけ一定にする
  • 朝は光を浴び、日中は適度に身体を動かす
  • 就寝前のスマートフォンや仕事から距離を置く
  • 寝室の明るさ、温度、音などの環境を整える
  • 眠れないことを過度に気にせず、無理をしない

東洋医学の「養生」という考え方にも、活動と休息のバランスを大切にする知恵があります。

ただし、眠れない状態が続く場合や、日中の生活に支障がある場合は、自己判断せず医療機関に相談しましょう。

健康を考えるとき、何を取り入れるかだけでなく、何を手放して休むかも大切です。

次回予告

第15話「季節の移ろいと身体の声」

朝晩の空気が変わり、木々の色にも季節の移ろいが感じられるようになった。

誠は、季節が変わるたびに身体の感じ方も変わることに気づき始める。

自然のリズムに合わせて暮らすとは、どういうことなのか。

美紀との日常や信州の風景を通じて、季節と身体の関係を見つめ直していく。


プライバシーポリシー / 特定商取引法に基づく表記 / 利用規約

Copyright © 2025 酒井 恒和 All Rights Reserved.

CLOSE