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連載小説・『劉備と霊芝 ― 乱世を生き抜く養生の道』⑧

第八話 関羽の死 ― 怒りが健康を蝕む時

建安二十四年。

劉備にとって最も苦しい知らせが届いた。

長年苦楽を共にした義弟。

桃園の誓いを交わした兄弟。

蜀の柱石。

関羽

戦死。

その報が成都へ届いたのである。

関羽は荊州で北方の魏軍を圧倒していた。

樊城を包囲し、中原を震撼させていた。

だがその隙を突き、

呂蒙

率いる呉軍が荊州を奪取する。

関羽は退路を失い捕らえられた。

そして命を落とした。

劉備はしばらく言葉を失った。

目の前の景色が消えたようだった。

諸葛亮も張飛も重臣たちも何も言えない。

沈黙だけが続く。

やがて劉備は低い声で言った。

「嘘だ。」

誰も答えられなかった。

「雲長が負けるはずがない。」

それでも現実は変わらない。

関羽は帰ってこない。

若き日の桃園。

共に飢えた日々。

共に戦った戦場。

すべてが脳裏を駆け巡る。

その日から劉備は変わった。

食事の量が減った。

眠れなくなった。

笑わなくなった。

側近たちは心配した。

しかし誰も止められない。

悲しみはやがて怒りへ変わっていった。

「呉を討つ。」

劉備はそう宣言した。

重臣たちは驚いた。

諸葛亮は慎重に言った。

「殿。」

「今は耐えるべき時です。」

「魏との対決が先にあります。」

しかし劉備は聞かなかった。

「雲長の仇を討たねばならぬ。」

その声にはかつてない激情があった。

張飛だけは理解していた。

彼もまた関羽を失った悲しみに苦しんでいたからだ。

だが張飛は言った。

「兄者。」

「怒りに任せてはいけねえ。」

劉備は黙った。

しかし心は既に戦場へ向かっていた。

その頃。

諸葛亮は深刻な危機を感じていた。

軍事的な危機ではない。

劉備自身の危機だった。

ある夜。

諸葛亮は劉備の執務室を訪れた。

机の上には未処理の書簡が積まれている。

だが劉備は読んでいなかった。

ただ関羽の愛用していた青龍偃月刀を見つめていた。

「殿。」

劉備は振り返らない。

「孔明。」

「なぜ人は大切な者から先に失うのだろうな。」

諸葛亮は答えられなかった。

どんな知略家でも。

どんな名医でも。

別れをなくすことはできない。

しばらくして諸葛亮は言った。

「殿。」

「ご自身をお守りください。」

劉備は苦笑した。

「私の身体などどうでもよい。」

その言葉に諸葛亮は珍しく強い口調になった。

「よくありません。」

劉備は驚いた。

諸葛亮は続ける。

「怒りは敵より恐ろしい。」

「怒りは判断を曇らせます。」

「怒りは身体を蝕みます。」

「怒りは国を滅ぼします。」

部屋が静まり返る。

劉備は何も言わなかった。

だが目には疲労が浮かんでいた。

以前のような穏やかさは消えている。

食欲不振。

睡眠不足。

精神的疲労。

現代で言えば強いストレス状態だった。

諸葛亮は霊芝湯を差し出した。

しかし劉備は手をつけなかった。

「今は飲む気になれぬ。」

諸葛亮は無理に勧めなかった。

ただ静かに言った。

「殿。」

「身体は心と繋がっています。」

「悲しみも怒りも身体へ現れます。」

「だから養生が必要なのです。」

劉備は小さく笑った。

「孔明らしいな。」

しかしその笑顔は弱々しかった。

数日後。

さらに悲劇が起こる。

張飛が部下に殺害されたのである。

劉備は立ち尽くした。

関羽を失い。

張飛も失った。

桃園の三兄弟は自分一人になってしまった。

誰も見ていない場所で劉備は涙を流した。

皇帝になる男。

漢中王。

数万の兵を率いる英雄。

だがその本質は仲間を愛する一人の人間だった。

その日から劉備の怒りは決意へ変わる。

呉討伐。

復讐。

その思いだけが心を支配する。

諸葛亮は止めた。

趙雲も止めた。

多くの家臣が反対した。

だが劉備は進軍を決める。

そして翌年。

数万の兵を率いて東へ向かう。

その姿は威風堂々としていた。

しかし諸葛亮は不安だった。

若い頃の劉備なら違った。

だが今の劉備は六十歳を超えている。

深い悲しみと怒りを抱えたまま戦おうとしている。

身体も心も大きな負担を受けていた。

諸葛亮は遠ざかる軍勢を見送りながら呟いた。

「人は病だけで弱るのではない。」

「感情でも弱る。」

それは養生の世界で古くから語られる考えだった。

怒り。

悲しみ。

不安。

恐れ。

それらは身体に影響を与える。

だからこそ心を整えることも養生なのである。

しかし劉備はまだその境地に至れなかった。

兄弟を失った悲しみがあまりにも大きかったからだ。

そしてその怒りが、後に人生最大の敗北へ繋がることになる。

夷陵。

歴史に名を残す大敗戦が近づいていた。

第九話「夷陵の敗北 ― 英雄が学んだ最後の養生」へ続く。


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