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短編小説

「定年まで働ける身体を作れ」 第1話 50歳の壁

「まだ働けるはずなのに、身体だけがついてこない。」

朝五時三十分。

目覚まし時計が鳴る前に、山本修一は目を覚ました。

五十八歳。

大手メーカーで部長を務める会社員だ。

あと二年で役職定年。

定年退職までは七年。

「今日も一日が始まるか。」

布団から起き上がろうとした瞬間、身体が重い。

昨夜は七時間眠ったはずだった。

それでも疲れが抜けた感覚はない。

「年齢のせいかな……。」

そうつぶやきながら、洗面所へ向かった。


朝食の席。

妻の恵子がコーヒーを差し出す。

「最近、朝から疲れた顔をしてるわね。」

「そう見えるか?」

「前は休日になるとゴルフや釣りに出かけていたでしょう?」

「最近は家で寝てばかり。」

山本は苦笑いした。

「仕事が忙しいだけだよ。」

しかし、自分でも気づいていた。

仕事が終わる頃には集中力が続かない。

階段を上るだけで息が切れる。

休日も「少し横になる」が半日になってしまう。


会社へ向かう電車。

窓に映る自分の姿を見て、ふと十年前を思い出す。

四十代の頃は、残業のあとでも同僚と食事に行き、休日は家族で旅行を楽しんでいた。

「体力には自信があったんだけどな。」

今は終業時刻が近づくだけで肩が重くなる。

午後になると、集中力が続かない日も増えていた。


午前の会議。

若手社員が新しい企画を熱心に説明する。

「部長、いかがでしょうか。」

山本は資料を見つめる。

内容は理解できる。

しかし、言葉がすぐに出てこない。

「……いい企画だ。」

そう答えるまでに、ほんの数秒。

その数秒が、自分にはとても長く感じられた。

会議が終わると、後輩の佐々木が声を掛ける。

「部長、お疲れですか?」

「少し寝不足かな。」

そう笑って答えたが、本当は寝不足ではない。

眠っているのに、回復した実感がないのだ。


数週間後。

会社の健康診断の日。

結果は例年とほとんど変わらなかった。

血圧も基準範囲。

血液検査にも大きな異常はない。

産業医が微笑んで言う。

「大きな問題はありませんね。」

山本も安心した。

……はずだった。

診察室を出ると、胸の中に違和感が残る。

「異常がないなら、この疲れは何なんだ?」


その夜。

夕食後、大学生になった息子が言った。

「父さん、最近ゴルフ行ってないね。」

「誘われても断ってばかりだよ。」

山本は照れ隠しに笑う。

「また暖かくなったらな。」

しかし、心の中では別の声が聞こえていた。

「本当に行けるのか?」

「18ホール歩き切れるのか?」


休日。

久しぶりに近所の公園を歩いてみた。

ジョギングをする人。

犬の散歩をする夫婦。

孫と遊ぶ祖父。

皆、生き生きとして見える。

ベンチに腰を下ろした山本は、大きく息をついた。

「まだ五十八歳だ。」

「でも、もう五十八歳なのか……。」

その時、一人の男性が声を掛けてきた。

「山本じゃないか?」

振り向くと、高校時代の同級生・中村だった。

「久しぶり!」

二人は近くのカフェへ入った。

中村は穏やかな表情で話す。

「会社はどうだ?」

「相変わらず忙しいよ。」

「でも最近、疲れやすくてね。」

中村は静かにうなずいた。

「実は俺も五十代前半に同じようなことがあった。」

「健康診断では異常なし。」

「でも疲れるし、眠りも浅い。」

「だから生活を少しずつ見直したんだ。」

山本は興味深そうに身を乗り出した。

「何をしたんだ?」

中村は笑った。

「特別なことじゃない。」

「食事、睡眠、運動。」

「できることを一つずつ続けただけだよ。」

「必要に応じて医師にも相談した。」

「すぐに変わるものじゃなかったけど、少しずつ前向きになれた。」

その言葉は、山本の心に残った。


帰宅後、山本は書斎で会社から渡された「人生100年時代のライフプラン」という冊子を開いた。

そこには、こんな言葉が書かれていた。

『定年はゴールではない。新しい人生のスタートである。』

ページを閉じた山本は、静かにつぶやく。

「まだ働きたい。」

「まだ家族と旅行へ行きたい。」

「いつか孫ができたら、一緒に走り回りたい。」

そのためには、お金だけでは足りない。

健康で動ける身体が必要なのだ。

窓の外では、朝日が昇り始めていた。

山本はスマートフォンを手に取り、「健康寿命」「50代 体力低下」「男性 更年期」などの言葉を検索する。

「今の自分にできることから始めよう。」

その小さな決意が、人生後半を大きく変える第一歩になるとは、この時はまだ知らなかった。

──第2話「若い頃との違い」へ続く。


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