連載【一房の葡萄を選ぶ理由――信州の果実がドライフルーツになるまで】 第4話
第4話 生で食べるための果物を、なぜ乾燥させるのか
「ここまで聞いてきて、ひとつだけ気になることがあります」
美紀は、テーブルの上に並べたナガノパープルとシャインマスカットを見ながら言った。
「二つとも、生で食べておいしい葡萄ですよね」
「そうだね」
「だったら……わざわざ乾燥させなくてもいいんじゃないですか?」
健一は少し黙って、二つの葡萄を見比べた。
それは、もっともな疑問だった。
みずみずしい果汁。
果実の香り。
噛んだときの食感。
生の葡萄には、生でしか味わえない魅力がある。
それなのに、なぜ水分を抜いてドライフルーツにするのか。
その答えを考えることは、実は「ドライフルーツとは何か」を考えることでもあった。
■ 乾燥すると、果物は別の顔を見せる
「まず、ドライフルーツは、生の果物を小さくしたものではないんだ」
健一がそう言うと、美紀は少し意外そうな顔をした。
「小さくしたんじゃないんですか?」
「見た目はそう見えるけどね」
生の葡萄には、たくさんの水分が含まれています。
その水分を減らしていくと、果実の姿は大きく変わります。
粒は小さくなり、みずみずしさもなくなる。
けれど、その一方で、生のときとは違った味わい方が生まれます。
一粒に含まれていた果実の味わいを、ぎゅっと凝縮したように感じられる。
口に入れる量も少なくなり、時間をかけて噛むことで、葡萄の風味をじっくり感じることができます。
「つまり、生の葡萄とは別の食べ物になるんですね」
「そう。だから、ドライフルーツを生の葡萄の代用品として考えると、本質を見失ってしまうんだ」
ドライフルーツには、ドライフルーツだからこその価値がある。
そこが大切なのです。
■ 「保存」だけが目的ではない
昔から、果物を乾燥させる方法は世界各地で利用されてきました。
水分を減らせば、果物を長く楽しむための方法になります。
しかし、現在のドライフルーツを考えるとき、「保存できる」というだけでは十分ではありません。
なぜなら、私たちは単に果物を長期間保管したいわけではないからです。
「いつでも葡萄を食べられるようにしたい」
それだけなら、生の葡萄を冷蔵保存する方法もあります。
私たちが考えているのは、
「葡萄の魅力を、別の食べ方として届けられないか」
ということです。
たとえば、仕事の合間に少しだけ食べる。
お茶を飲みながら、ゆっくり味わう。
旅行や外出のときに持ち歩く。
生の葡萄とは違って、ドライフルーツなら、そんな楽しみ方もできます。
果物を「旬の時期に食べるもの」から、「日常の中で少しずつ楽しむもの」へ。
乾燥という加工によって、新しい食べ方が生まれるのです。
■ では、何でも乾燥させればいいのか
ここで、もう一つ重要なことがあります。
「乾燥させれば、どんな果物でもおいしいドライフルーツになるんですか?」
美紀が尋ねた。
「いや。むしろ逆だと思う」
健一は答えた。
「乾燥するからこそ、原料の果物が重要になる」
水分が減れば、果物の味わいは変わります。
だからこそ、もともとの果実が持っている甘さや香り、食感などが、商品の印象に大きく関わってきます。
安い果物を使って、砂糖を加えて甘くする。
香りや食感を別の材料で補う。
そういう作り方もあります。
しかし、それでは、
「なぜ、この葡萄を選んだのか」
という最初の問いに答えにくくなります。
ナガノパープルなら、ナガノパープルの個性を。
シャインマスカットなら、シャインマスカットの個性を。
そのまま活かしたい。
だから、原料選びが重要になるのです。
■ 「甘くする」のではなく「甘さを活かす」
テーブルの上に、一粒のナガノパープルが置かれていた。
「葡萄の甘さって、もともと果物の中にありますよね」
「そう」
「だったら、その甘さを活かせばいい」
「その考え方なんだよ」
トーチのドライフルーツづくりで大切にしているのが、そこです。
砂糖を加えて甘くするのではなく、葡萄そのものが持つ甘さを活かす。
だから、加工の段階で砂糖を添加しません。
さらに、オイルなどの添加物も使用しません。
「でも、砂糖を入れなかったら、甘さが足りなくならないんですか?」
「そこを原料に任せるんだ」
もちろん、乾燥によって生の葡萄とは味の感じ方が変わります。
水分が減ることで、果実の味わいが濃く感じられるようになります。
だからこそ、砂糖で甘さを足すのではなく、果実そのものを活かすことに意味があります。
■ 「何を入れるか」ではなく「何を入れないか」
食品売り場で商品を選ぶとき、私たちはつい、
「何が入っているのか」
を確認します。
原材料表示を見る。
添加物を見る。
容量を見る。
価格を見る。
もちろん、それは大切なことです。
でも、ドライフルーツの場合は、もう一つ見てほしいところがあります。
「何を加えていないのか」
ということです。
トーチのドライフルーツでは、葡萄の味を別の味に作り替えるために、砂糖を加えません。
また、オイルなどを加えて味や食感を調整することもしません。
なぜでしょうか。
「無添加」という言葉を使いたいからではありません。
もっと単純です。
せっかく選んだ葡萄の個性を、できるだけそのまま活かしたいから。
これが理由です。
ナガノパープルを選んだのなら、ナガノパープルを味わってほしい。
シャインマスカットを選んだのなら、シャインマスカットを味わってほしい。
そのために、余計な味を加えない。
この考え方が、商品の加工方法にもつながっています。
■ 乾燥は「引き算」の加工
「なるほど……」
美紀は、少し考えてから言った。
「普通の加工食品って、いろいろ加えておいしくするイメージがあります」
「そうだね」
「でも、このドライフルーツは逆なんですね」
健一がうなずいた。
「ある意味では、引き算なんだ」
葡萄を選ぶ。
洗浄する。
必要な工程を経て、乾燥させる。
そして、砂糖やオイルを加えて別の味をつくるのではなく、果実そのものの味わいを活かす。
つまり、
「何を足すか」ではなく、「何を残すか」
を考える加工なのです。
これは、簡単そうに見えて、実は原料への要求が厳しい方法でもあります。
原料の個性が、そのまま商品の個性になるからです。
だからこそ、ナガノパープルとシャインマスカットを選ぶ意味がある。
■ 生の葡萄と、ドライフルーツ
美紀は、生の葡萄とドライフルーツを並べてみた。
「同じ葡萄なのに、全然違いますね」
生の葡萄は、みずみずしい。
ドライフルーツは、しっとりとした、あるいは凝縮された独特の食感がある。
生は一度にたくさん食べることもできる。
ドライフルーツは、一粒ずつゆっくり味わうことができる。
生は旬の果物として楽しむ。
ドライフルーツは、日常の中で少しずつ楽しむ。
どちらが優れているという話ではありません。
食べ方が違うのです。
だから、ドライフルーツにすることは、生の葡萄の価値を否定することではありません。
むしろ、
生とは違った形で、その果実の魅力を伝える方法
なのです。
■ 「乾燥させる意味」が見えてきた
夕方、二人は果樹園を歩いていた。
葡萄棚には、収穫を待つ房が並んでいる。
美紀が言った。
「最初は、せっかくおいしい葡萄なのに、どうして乾燥させるんだろうと思っていました」
「うん」
「でも、今は少し分かります」
生で食べる。
それとは別に、乾燥させる。
それによって、果実の楽しみ方が増える。
しかも、砂糖で甘さを足したり、オイルなどの添加物で別の味をつくったりするのではなく、果物そのものの価値を活かす。
「そう考えると、ドライフルーツって、単なる保存食じゃないんですね」
「その通り」
健一は笑った。
「果物を、別の形で届けるための方法なんだ」
■ 一房の葡萄から、もう一つの価値をつくる
ナガノパープル。
シャインマスカット。
この二つの葡萄を選んだのは、名前が有名だからだけではありません。
それぞれに、長野の産地で育てられてきた背景があり、それぞれの品種ならではの個性があります。
だからこそ、その個性を活かしたドライフルーツにしたい。
砂糖を加えて甘くするのではなく、
オイルを加えて別の味わいをつくるのでもなく、
果実そのものの甘さや風味を活かす。
それが、トーチの考える加工です。
そして、ここまで考えてくると、次の疑問が生まれます。
「では、良い果物とは何なのだろう?」
糖度が高ければ、それだけで良い果物なのか。
粒が大きければ、それだけで価値が高いのか。
有名な品種なら、それだけでいいのか。
実は、そう単純ではありません。
果物には、甘さだけでは測れない価値があります。
香り、食感、酸味、皮、産地、栽培、そして生産者の仕事。
それらが組み合わさって、一つの果実の価値になります。
次回は、その「良い果物とは何か」という問いに向き合います。
ドライフルーツにするからこそ見えてくる、
「甘いだけではない、良い果物の条件」
について考えてみましょう。
今回のポイント
- ドライフルーツは、単に生の果物を小さくしたものではない
- 乾燥によって、生とは違う味わい方が生まれる
- ドライフルーツの価値は「保存性」だけではない
- 原料の個性を活かすからこそ、果物選びが重要
- トーチは砂糖を添加せず、果実本来の甘さを活かす
- オイルなどの添加物も使用せず、余計な味を加えない
- 「何を足すか」ではなく「何を残すか」を大切にする
- 生の葡萄とドライフルーツは、優劣ではなく「違う楽しみ方」
第5話「甘さだけでは決まらない『良い果物』」へ続く。

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