自然と共存するという当たり前の選択
人間は、自分の力だけで生きていると思いがちだ。
だが本当は、空気に生かされ、水に生かされ、土に育てられた命を食べることで、今日をつないでいる存在にすぎない。
自然の外に人は立てない。これは思想ではなく、事実だ。
地球の歴史はおよそ46億年。
人類が現れてからでも、数百万年。
その長い時間の中で、人は自然の循環の中に身を置き、植物や動物を食べ、季節に従って生き延びてきた。
一方、添加物や人工加工物の歴史はどうか。
化学合成による食品添加物が本格的に使われ始めたのは、せいぜいここ100年ほど。
人類史から見れば、瞬きほどの時間でしかない。
この時間の差を、私たちは軽く見すぎている。
自然は、何百万年という試行錯誤を経て、
「食べられるもの」と「食べてはいけないもの」を、ほぼ選別し終えている。
人の体もまた、その自然に適応する形で進化してきた。
だが人工加工物は違う。
人が作り、人が安全基準を決め、人が「問題ない」と判断している。
それは長期的な人体との相性が証明された結果ではない。
歴史が浅いということは、
影響がないという意味ではなく、
影響がまだ分かり切っていないという意味だ。
過去を振り返れば、人間の「大丈夫だろう」という過信が、後に大きな代償を払わせた例はいくつもある。
C型肝炎は、かつて安全と信じられていた血液製剤の管理体制の甘さが、多くの感染を生んだ。
医療という、人を救うはずの行為が、結果として命を蝕んだ事実だ。
新型コロナウイルスも、原因を単純化することはできないが、
人間が自然の領域に深く踏み込み、効率と管理を優先してきた文明のあり方が、無関係とは言い切れない。
自然は、無理をすれば必ず歪みを返してくる。
ここで重要なのは、
「悪意があったかどうか」ではない。
人が作ったものを、人が過信したことそのものだ。
歴史を見れば、体に悪影響を与えた人工物は枚挙にいとまがない。
・アスベスト
・PCB
・DDT
・鉛入りガソリン
・一部の合成着色料
・過剰な人工甘味料
いずれも、当初は「便利」「安全」「必要」とされていた。
問題が明らかになったのは、何十年も後だ。
これらは特別な失敗例ではない。
人が自然よりも自分の判断を信じすぎた結果である。
自然派で生きるというのは、
何も原始時代に戻れという話ではない。
自然派とは、
「人が作ったものより、自然が長い時間をかけて許してきたものを優先する」
という、極めて保守的で慎重な姿勢だ。
自然は、沈黙しているが、嘘をつかない。
人は賢いが、しばしば早合点をする。
だからこそ、
自然の側に立つという選択は、
思想ではなく、リスク管理なのだ。
人と自然の関係は、主従ではない。
人が自然を支配しているのではなく、
自然の許容範囲の中で、人は生かされている。
この摂理を忘れたとき、
人は便利さと引き換えに、健康と安心を差し出すことになる。
自然派で生きるとは、
自然に従うことではない。
自然を侮らないことだ。
それは弱さではなく、
長く生き延びるための、最も古く、最も確かな知恵なのである。

だから、私は自然派に拘る。
自然に生かされていると感じられるからだ。
決して、自然に抗おうとしてはいけない。
